第8回横浜トリエンナーレを観にみなとみらいへ

久しぶりの現代アート鑑賞。

現代アートが必然的にもつ「現代社会性」とでも言おうか、心が揺さぶられる作品が多かった。

中でも一押しは映像作品。社会主義下のハンガリーで、とある健康な青年が日課筋肉トレーニングに精を出すシーンから始まる。次第に哲学書の音読をしながら思索を深め、合間に青年らしい健康的な食欲のままに食事をとる場面が挟まれる。さらに思考は深みを増し、彼は落ち着きをなくしてゆく。そしてついにどこかで拾ってきたぼろぼろの「宝物」のぬいぐるみを抱きしめて、子供のように泣き始める。それは彼にとって「ライナスの毛布」。

理性で自分を社会の枠に、思想、あるいは宗教の枠にはめて、普段人は生きて行くけれど、本質は答えのない底なしの不安とともにある。汚れて傷ついた可哀想なぬいぐるみは、壮健そうにしか見えない若く健康な彼の、一番柔らかい深層にある姿なのだ、とこの映像は雄弁に語っている。

自分が表現したいものや事が、形になって見る人の心を揺さぶるものが芸術だ、といたく感動した。トリエンナーレの鑑賞という刺激が心地よい一日だった。