介護生活の途中です

介護は突然始まる。

母は心不全の持病にもう30年近く悩まされてきた。途中2回の手術と交通事故にも遭い、都度本人の頑張りを家族で全力で支えてきた。

昨年3月より息切れがひどくなり2階の浴室や寝室への階段が無理になり、階段昇降機を付けてこれからも在宅で暮らせるようにと準備をしてきた。

でも病状は想像を超えていた。2月から3回の入退院。3回目の退院時は看取り介護の為自宅で姉妹で介護。なぜなら本人が入院で参ってしまい、自宅に帰りたいと強く希望したから。そして入院すると家族に一切会えないから。また、心臓が末期状態で余命が一カ月と家族に言われたから。

でも女性の主治医は子育て優先で4時半には帰ってしまい、連休が終わってもお休みがち。救急車で運ばれたばかりなのに本人に「心臓が末期状態」といきなり告知をするのには怒りを覚えた。告知もまるでさっさと勤務時間内に行いたい事務作業の様に。昨年3月から息切れを訴えていたのに、「心臓は大丈夫」と言う以前の主治医にも不信感。心臓は大丈夫でも他の臓器はかなり悪くなってしまっていたのだから。

献身的に介護をした。交替で泊まり込み、夜中3回のトイレにつきあい、希望の物だけを作って食べてもらった。母はわがままを言わない人で、痛みや辛い事があるとき以外は家族や周りに感じよく接する人だからこそできたのだと思う。

妹は看護師で姉妹とも近い地域にすんでいて、家も設備は整っている。

でも在宅介護は限界だった。食べられていて一カ月と言う厳しい見方に涙していたが、それを超えてくれそうな様子が見られ、介護を頑張っていると疲れないはずがないから「いつ終わる」とは思わないまでも「これは長く続きそうだな」と思い始め、長生きしてほしいのに早く解放もされたいから、頑張る事、頑張ってもらう事に矛盾を感じ始めてきた。

幸い自宅のごく近くに良い施設が見つかる。夜間看護師常駐で看取り介護も行ってくれる。夜中のトイレも感じよくお世話して下さるそうで、ただ食事は好きなものだけではないから今までの様にはいかない、とのこと。父も空のベットをみてぼーっとしているようで賑やかだった在宅介護中と母が入所してからのギャップはかなりのものだろう。

だけれど正直限界。自分の家庭の用事がたなざらしになってしまう。2家庭分の食事作りと家事。睡眠不足。良くなる可能性がある病人を看るのではない事についてのストレス。加えて、ケアは初心者。向き不向きに関係なく振られる「仕事」だ。いや仕事とはいえない。限られた時間を有償で他人に対して行う「仕事」ではなく、24時間無償で肉親に対して行うのが介護という仕事なのだから。しかも病状的にデイサービスは使えず、母のように夜中の3回のトイレ時の手伝いを最も必要としているような患者には介護保険は全く無力だからだ。

この十年はずっと母の病状が頭から離れる事はなかったから。これからは十分やってきたことを誇りに思い、最後のスパートは施設に頼り、また力を振り絞らなくては。これからのおそらく数カ月?残っているのか、は今までよりずっと精神的に辛いものになるのだから。

介護で一番大切な事。自分の生活や睡眠時間を犠牲にしない事だ。多少やるべきことややりたいことの時間が短くなるのは当たり前だけど、それがかなり少なくなったり、ゼロになったりしてからでは遅い。

心不全は入退院を繰り返す。それだけでも本人や家族は大変な苦労をする。私達は3回の入退院後に在宅介護、運よく施設と言う経過をたどっているが、悪い事は言わない。心不全の末期とみられる患者が2回入院したくらいの時点で、施設を探し始めた方がいい。入院と入院の間のまだ患者が立てるうちに家族の時間を十分に過ごしておくこと。3回目の退院時は立てなくなって帰ってきた。そうなってから在宅介護を出来る人はかなり条件に恵まれている家族だ。寝ずの介護をしながら施設選びは大変。在宅介護の体裁を整えるのもすごく大変な事だ。何通契約書を書いたことか。いったい何人の担当者、介護者と連絡を取り合った事か。

立てるうちは在宅介護。次の入院で退院した時立てなくなっていると思われるなら、施設を探し始めること。

誰でも在宅で看取りまでやれると思うのは間違い。心不全と言うのはそういう病気なのだ。良くいえばゆっくり覚悟を決めさせられる病気、残念な言い方をすれば、本人が自分の事が出来ない状態で暮らすという介護を受ける時間が長くなる病気だ。