鑑賞後いつも映画のパンフレットを探す。なぜか見当たらない。内容が内容だから作成できなかったのか。。
想像していた通りの、それ以上の内容だった。
ネタバレになるかもしれないけれど、出来る限り観たことを多くの人に知らせたい。
そして観に行って欲しい。
そもそも安倍氏、最初から日本のため、国民の為なんて考えちゃあいない。もしかして一部富裕層のため、でもないかもしれない。というか、政治家としての展望も、人としての良心も全くない人物だった様子。これほどまでとは。
詰まるところ、彼は祖父の岸信介(A級戦犯なのに死刑をまぬがれ釈放)ができなかった憲法改正を成し遂げて、おじいちゃんより優秀であることを「お母さん」に認めさせたかったようなのだ。え?そんな理由で国をやりたい放題に繰ってるわけ?
ではなぜ憲法改正?
劇中で憲法学者の小林節氏「要するに明治時代に権力を握っていた長州閥は、天皇の威光を笠に着て、権力を我が物顔にやりたい放題出来た時代に戻りたい。だから憲法改正は明治憲法を復活させることが目的。」つまり憲法改正の真の目的は、明治時代に郷愁を持つ旧エリート層が、戦後の民主主義で日陰に追いやられていた自分たちの存在を再び最高権力者として浮かび上がらせたいという野望の実現にあるのだ。
自衛隊を軍隊に、人権をなくして天皇を君主にと言う自民党の憲法改正案。これをとんでもない事と思うだけで終わってしまっていないか。かりに本心から自国と自国の国民の事を考えている結果であるならまだしも、彼らはそれさえ全く考えていないかもしれない。「国を守る、ことすら詭弁で本心は最高権力を手に入れる事だけ」だったら。。本当に気が遠くなってしまう。
もし仮にこの仮説が本当なら、原発の再稼働とか中古兵器の爆買いとか国土を切り捨てて基地建設とか食料自給に目もくれないとか、自分たちの首をしめる蛮行の数々も説明がつくのではないだろうか。
だって彼らの目的はただ、「権力のトップに返り咲きたい」だけなのだから。その為なら国も国民も「別にどうなってもかまやしない」のだから。
恐ろしいけどそうとしか説明できない。
「返り咲いた」暁には、国自体がなくなっている、という想像は出来ないのだろうか。
桜の季節も終わるけれど、「桜を見る会」は10m歩くと山口県の人、人、人。安倍氏の単なる後援会パーティーを国民の血税で行っていたという、贈収賄事件だったわけだが、その頃の参加者は皆「今は隠れキリシタンのようになっている」と行くことを拒否していた県民の方の弁。どうか桜を見る会の山口県参加者の皆さん、いい加減隠れていないで自民党を県の中枢から下野させませんか。
劇中、下関は市の事業がことごとく利権に食い物にされ、地元の産業は衰退、悲惨なシャッター街が続いていた。このままで行くと日本全体が同じような様子になるだろうと想像させるに十分。
布マスクとパンケーキとしゃもじ。どれも能天気でやってる感だけで中身からっぽの今の日本を象徴している。
デモに参加せず隣と政治の話が出来ない、大人しい日本人。「だってしょうがない」ってやり過ごしているうち、いつの間にか人権剥奪されても「だってしょうがない」っていうのかな。遅いです。