夫婦別姓に寄りかかっていること

夫婦別姓で違和感を感じるとき。色々あるのですが、夫婦といえども主義主張は当然違うことがあるわけで、結婚前は自分の意見を言う時当たり前に”私の意見”として申し述べていたわけですが、今、私なりの意見表明をするとき結婚後の姓で発言すると”これだれが言ってるんだろう、私のはずなのに?”とまるで自分の口からでている考えなのに他人事みたいに違和感があります。子育て中に子供のママとして夫の姓で呼ばれているときはそれほど感じません。が、いっときの子育て期間を過ぎ、私自身の活動が再び増えてきたとき、いわば昔の自分にもどるのでしょうね、夫の姓で呼びかけられると、え?それって私のこと?それ誰?みたいにきょろきょろしてしまう自分がいます。病院や銀行で名前を呼ばれるくらいのレベルならそう違和感ありませんが、もっと私の個人的な活動しているとき、仕事や趣味ですね、これ、夫の意見じゃないのに夫の意見のように聞こえるなあ、私が言って行っているんだけどなあ、と。そして本題の寄りかかっていること。旧姓を離れて、大げさに言えば自分の人生に自分で責任をもつ、という当たり前のことをどこかで拒否してしまっているかもしれない。人生で出会うことや行うことや得られるものは自分で責任持つべきなのに、こうできないのは夫のせい、みたいな、他力本願。自分の名前で生きていたら、なにかを得られないことを夫のせいにしていただろうか、もっと自分の名前に恥じることなくより良くありたいと切磋琢磨していたのではないか、もっと自分の責任を自覚して日々、生きるのではないか、と思うのです。夫の姓に変えるとなんでも夫のせい、にしてしまうような気がしています。反省。9割が結婚後夫の姓に改姓している日本。みなさんこんな風に感じることはないのでしょうか。私だけが変わっているのかなあ。