「女は黙ってろ」と言われて

JOCの森会長がした「女性が沢山入る会議は時間がかかる」の発言について、コラムニストの斎藤美奈子氏はつまりこれは「女は黙ってろ」と言ったに等しいと東京新聞で言っておられました。

いつもこの方の痛快で直球のコラムにはすーっと理解が整理されます。

女性は程度の差こそあれ、学年が上がり、年を重ねるにつけ、この手の抑圧にさらされてきました。

私なりにこの発言を聞いて浮かんだシーンは、頭まで筋肉の男の子たちが、ちゃらちゃらしていない(ときにブス扱いされる)女の子にやり込めされそうになった時、「うるせーな女のくせに」と言い放ち、周りの取り巻き男子ががーっと笑う構図、です。つまり女の子一人に対して多勢に無勢。

加えて、その多勢を見て周りの女の子達は「ああなると生きにくい」と感じて、それとなく多勢に入って生きるほうが楽と、生き方を微調整していきます。申し訳ないけれど、だんだんに生き方を微調整してきたのは特段能力に自信がない、この私もその一人です。多勢の構成要員も特別能力がありそうな人達ばかりではありませんけれどね。

ただ、以上は昭和40年代のシーンで、このような風潮は最近、低学年では少なくなってきているのでしょうね。でも、なくなってはいません、きっと。形勢が怪しくなると途端にこの多勢がむっくりとあらゆる社会活動の単位で「黙ってろ」を持ち出してくるのです。女ばかりではなく、今はすべての市民に対してそうです。

だから、女性差別は女性に限られているから自分には関係ない、とほおっておくなかれ。「すべての女性差別の道は、あらゆる種類の差別に通ずる」です。

多勢に入れる権利があるのに、がーっと笑ってはいない男性もいます。少なくとも社会活動時においては。

荻上チキさん、武田砂鉄さん、山本太郎さん、中島武志さん、他多数。上げきれない。

もちろん女性も。大好きだった木内みどりさん、東京新聞の望月さん、議員さんにもいます。こちらも他多数。

皆さん頭は筋肉ではない方たちばかりです。

そもそも体育会、体育の時間が苦手な子供だった私。体育そのものが嫌いと、どうしても公に言いにくい空気もありました。心身ともに体育が得意、またはそういう気質が好きという方が好まれるのが日本の社会でした。

それ以外の科目はすべて大好き。体育が嫌いなら嫌いと言えて、自分で選べるような社会を諦めたくないですし、そういう社会を子供たちに渡したいです。

だから今度こそ「黙っていない」。