創造価値、体験価値、そして態度価値

最近知った概念だが、人間が実現できる価値にはヴィクトール・フランクルによると三つあるそうだ。

創造価値、体験価値、態度価値という。

詳しくはWikipediaによるが、その中で特に関心を持ったことがそれぞれある。それは、

①創造価値には仕事だけでなく芸術作品を作ったりすることも含まれるが、なにか行動しただけでも実現されること。特別な才能も努力も必要ない。

②体験価値においては、何かを体験する事の他に、自然に触れたり、人を愛したりすることでも実現できること。これも、唯一無二の人にしかできない所作ではない。

③そして人が最後に実現可能な「態度価値」について。Wikiから以下引用。

『人間が運命を受け止める態度によって実現される価値である。病や貧困やその他様々な苦痛の前で活動の自由(創造価値)を奪われ、楽しみ(体験価値)が奪われたとしても、その運命を受け止める態度を決める自由が人間に残されている。』

人は毎日、食して排泄する一本の管。生き物としての人のありのままがこれだ。だがその管は日々、行動して善を為す事で価値を作り出し(創造価値)、行動できなくなっても人を愛することで自分をあるいは相手を楽しませ(体験価値)、そしてついには動けなくなる時がきたら、運命を受け入れる際の感謝や喜びの態度で価値を作り出すこと(態度価値)が出来ると言っているのだ。

私の最愛の人。態度価値を残して逝った大切な人。どこを探しても今はいない。日々都会の小さな自然の中に面影を探す日々だ。残念なのは輝くような態度価値を残してくれたことにお礼が言えなかった事。それに近い事は言ったような気がするけれど、「態度価値」と言う言葉はプレゼントできなかった。この言葉にであることに間に合わなかったから。すごく寂しい。

ドイツボン大学教授 マルクス・ガブリエル氏

『人間の行動を企業の利益にかなうようにコントロールする「監視資本主義」では、我々の検索履歴は常に測定、分析され、人々は検索結果という答えを得て都市に集まってくる。その結果街の様子も変化してくる。我々の欲望は今や監視資本主義に作り出されていると言える。監視者はスマートフォンをいう独房にいる人々に情報を送り、特定の行動をするように促してくる。スマホの利用者は監視者の意図を知らずに、無意識に動かされている。姿を見せない統治者が人間を意のままにする状態は、監獄の監視システムである「新」パノプティコンと言える。そしてそれは非常に強力だ。』

ニヒリズムは人間が存在することに意味はない、というが意味があろうがなかろうがが、神が存在しようがしまいが、私達は道徳的真実を見つけ出し、それを実践しなければならない。我々には未来を守る義務がある。それが「人生の意味とはなにか」という私の答えだ。』

 

つまり、結論。スマートフォンをなるべく見ない事だ。以前から他人の人生に「いいね!」(これは結局は、いいなあ!という妬みの感情ではないかと思うのだが)している暇があれば、普通に生活していたら出会えないはずの碩学に、過去の人であれば会話できるというまれな体験ができる「読書」に時間を割きたいと思っていたので、我が意を得たり、の心境だ。

日常の疑問、疑問とまで行く前に単なる暇つぶしに日常的に「検索」していることが非常に多い事に反省している。いちいち検索窓を開いていたら、累積する時間は膨大だ。思考するのに検索窓は実は必要ない。そう考えを改め、検索したくなったら一度その単語なり文章なりを今日のメモ欄に書き出す事にした。夕方パソコンでまとめて「ネットサーフィン」するにとどめる。あたらめてPCに向かうと、調べるほどの事ではないと結論付けられることが多いものだ。

 

ラグジュアリーホテル考

カード会社の小冊子を見る。豪華なホテルの特集だ。海外ではなく国内の。

連日介護と母の入所施設に行っている身では隔世の感ありと言うところだ。清潔な室内で療養中だが介護士さん看護師さんは多忙であり、良くやってくださっているけれど、かゆいところに手が届くような介護は家族以外は無理だし、家族では限界があるからお頼みしている。元気なときはめいっぱい豪華で気持ちの良い楽しみがあって、苦しい時に我慢とそれなりレベルの生活になるのは、逆ではなかろうかな、とこの頃感じる。

梅雨前半

梅雨の前半はまだ、気温が低いうちはヒンヤリ感があってしのげる。これから蒸し暑い梅雨の後半がやって来て、やがてぎらぎら暑い酷暑が続く夏本番となる。何をするにも暑さが身体と頭の片隅にあって集中できない。

いつからか、夏の間は必要最小限の事以外はやりたい事、やるべきことを「小休止」せざるを得ない習慣になった。

きっと、暑い国の人々の過ごし方もこんな感じなのだろうか。生産性にこだわらず、なるべく心地よいところで休む、せめて休日くらいリゾートの過ごし方をまねる、といってもどこかへ行くのではなくて、住まいの中でそれらしく過ごす。

それで十分。好きな空間と本があれば。

 

介護生活の途中です

介護は突然始まる。

母は心不全の持病にもう30年近く悩まされてきた。途中2回の手術と交通事故にも遭い、都度本人の頑張りを家族で全力で支えてきた。

昨年3月より息切れがひどくなり2階の浴室や寝室への階段が無理になり、階段昇降機を付けてこれからも在宅で暮らせるようにと準備をしてきた。

でも病状は想像を超えていた。2月から3回の入退院。3回目の退院時は看取り介護の為自宅で姉妹で介護。なぜなら本人が入院で参ってしまい、自宅に帰りたいと強く希望したから。そして入院すると家族に一切会えないから。また、心臓が末期状態で余命が一カ月と家族に言われたから。

でも女性の主治医は子育て優先で4時半には帰ってしまい、連休が終わってもお休みがち。救急車で運ばれたばかりなのに本人に「心臓が末期状態」といきなり告知をするのには怒りを覚えた。告知もまるでさっさと勤務時間内に行いたい事務作業の様に。昨年3月から息切れを訴えていたのに、「心臓は大丈夫」と言う以前の主治医にも不信感。心臓は大丈夫でも他の臓器はかなり悪くなってしまっていたのだから。

献身的に介護をした。交替で泊まり込み、夜中3回のトイレにつきあい、希望の物だけを作って食べてもらった。母はわがままを言わない人で、痛みや辛い事があるとき以外は家族や周りに感じよく接する人だからこそできたのだと思う。

妹は看護師で姉妹とも近い地域にすんでいて、家も設備は整っている。

でも在宅介護は限界だった。食べられていて一カ月と言う厳しい見方に涙していたが、それを超えてくれそうな様子が見られ、介護を頑張っていると疲れないはずがないから「いつ終わる」とは思わないまでも「これは長く続きそうだな」と思い始め、長生きしてほしいのに早く解放もされたいから、頑張る事、頑張ってもらう事に矛盾を感じ始めてきた。

幸い自宅のごく近くに良い施設が見つかる。夜間看護師常駐で看取り介護も行ってくれる。夜中のトイレも感じよくお世話して下さるそうで、ただ食事は好きなものだけではないから今までの様にはいかない、とのこと。父も空のベットをみてぼーっとしているようで賑やかだった在宅介護中と母が入所してからのギャップはかなりのものだろう。

だけれど正直限界。自分の家庭の用事がたなざらしになってしまう。2家庭分の食事作りと家事。睡眠不足。良くなる可能性がある病人を看るのではない事についてのストレス。加えて、ケアは初心者。向き不向きに関係なく振られる「仕事」だ。いや仕事とはいえない。限られた時間を有償で他人に対して行う「仕事」ではなく、24時間無償で肉親に対して行うのが介護という仕事なのだから。しかも病状的にデイサービスは使えず、母のように夜中の3回のトイレ時の手伝いを最も必要としているような患者には介護保険は全く無力だからだ。

この十年はずっと母の病状が頭から離れる事はなかったから。これからは十分やってきたことを誇りに思い、最後のスパートは施設に頼り、また力を振り絞らなくては。これからのおそらく数カ月?残っているのか、は今までよりずっと精神的に辛いものになるのだから。

介護で一番大切な事。自分の生活や睡眠時間を犠牲にしない事だ。多少やるべきことややりたいことの時間が短くなるのは当たり前だけど、それがかなり少なくなったり、ゼロになったりしてからでは遅い。

心不全は入退院を繰り返す。それだけでも本人や家族は大変な苦労をする。私達は3回の入退院後に在宅介護、運よく施設と言う経過をたどっているが、悪い事は言わない。心不全の末期とみられる患者が2回入院したくらいの時点で、施設を探し始めた方がいい。入院と入院の間のまだ患者が立てるうちに家族の時間を十分に過ごしておくこと。3回目の退院時は立てなくなって帰ってきた。そうなってから在宅介護を出来る人はかなり条件に恵まれている家族だ。寝ずの介護をしながら施設選びは大変。在宅介護の体裁を整えるのもすごく大変な事だ。何通契約書を書いたことか。いったい何人の担当者、介護者と連絡を取り合った事か。

立てるうちは在宅介護。次の入院で退院した時立てなくなっていると思われるなら、施設を探し始めること。

誰でも在宅で看取りまでやれると思うのは間違い。心不全と言うのはそういう病気なのだ。良くいえばゆっくり覚悟を決めさせられる病気、残念な言い方をすれば、本人が自分の事が出来ない状態で暮らすという介護を受ける時間が長くなる病気だ。

布マスクとパンケーキとしゃもじ

 

鑑賞後いつも映画のパンフレットを探す。なぜか見当たらない。内容が内容だから作成できなかったのか。。

想像していた通りの、それ以上の内容だった。

ネタバレになるかもしれないけれど、出来る限り観たことを多くの人に知らせたい。

そして観に行って欲しい。

そもそも安倍氏、最初から日本のため、国民の為なんて考えちゃあいない。もしかして一部富裕層のため、でもないかもしれない。というか、政治家としての展望も、人としての良心も全くない人物だった様子。これほどまでとは。

詰まるところ、彼は祖父の岸信介(A級戦犯なのに死刑をまぬがれ釈放)ができなかった憲法改正を成し遂げて、おじいちゃんより優秀であることを「お母さん」に認めさせたかったようなのだ。え?そんな理由で国をやりたい放題に繰ってるわけ?

ではなぜ憲法改正

劇中で憲法学者小林節氏「要するに明治時代に権力を握っていた長州閥は、天皇の威光を笠に着て、権力を我が物顔にやりたい放題出来た時代に戻りたい。だから憲法改正明治憲法を復活させることが目的。」つまり憲法改正の真の目的は、明治時代に郷愁を持つ旧エリート層が、戦後の民主主義で日陰に追いやられていた自分たちの存在を再び最高権力者として浮かび上がらせたいという野望の実現にあるのだ。

自衛隊を軍隊に、人権をなくして天皇を君主にと言う自民党憲法改正案。これをとんでもない事と思うだけで終わってしまっていないか。かりに本心から自国と自国の国民の事を考えている結果であるならまだしも、彼らはそれさえ全く考えていないかもしれない。「国を守る、ことすら詭弁で本心は最高権力を手に入れる事だけ」だったら。。本当に気が遠くなってしまう。

もし仮にこの仮説が本当なら、原発の再稼働とか中古兵器の爆買いとか国土を切り捨てて基地建設とか食料自給に目もくれないとか、自分たちの首をしめる蛮行の数々も説明がつくのではないだろうか。

だって彼らの目的はただ、「権力のトップに返り咲きたい」だけなのだから。その為なら国も国民も「別にどうなってもかまやしない」のだから。

恐ろしいけどそうとしか説明できない。

「返り咲いた」暁には、国自体がなくなっている、という想像は出来ないのだろうか。

桜の季節も終わるけれど、「桜を見る会」は10m歩くと山口県の人、人、人。安倍氏の単なる後援会パーティーを国民の血税で行っていたという、贈収賄事件だったわけだが、その頃の参加者は皆「今は隠れキリシタンのようになっている」と行くことを拒否していた県民の方の弁。どうか桜を見る会山口県参加者の皆さん、いい加減隠れていないで自民党を県の中枢から下野させませんか。

劇中、下関は市の事業がことごとく利権に食い物にされ、地元の産業は衰退、悲惨なシャッター街が続いていた。このままで行くと日本全体が同じような様子になるだろうと想像させるに十分。

布マスクとパンケーキとしゃもじ。どれも能天気でやってる感だけで中身からっぽの今の日本を象徴している。

デモに参加せず隣と政治の話が出来ない、大人しい日本人。「だってしょうがない」ってやり過ごしているうち、いつの間にか人権剥奪されても「だってしょうがない」っていうのかな。遅いです。

第二のウクライナになるかもしれない

ウクライナ紛争、全面的に非があるのは、当然ロシアのプーチン氏。ただ、短兵急にNATO加盟実現路線に走り、米欧には承認を急ぐ考えがなかったが、ウクライナを拒みはしなかったので、ロシアの方ではNATOの東方拡大が隣国に及ぶと怒りを募らせ、結果としてロシアのウクライナへの侵略を許した。

敢えていえばこのゼレンスキー氏が人的につながりの深い大国ロシアとの距離の取り方を誤ったことによる「外交の失敗」から日本は学ばなくてはならない。

人的文化的に繋がりの深い中国や韓国、アジアの国々との距離を縮める努力より、「遠い国」のはずの米国にばかりすり寄る外交をしていないか。近い大国である中国を軽視して、NATOにばかり近づきすぎる外交で、米欧に距離を取られる可能性は考えなくて良いのか。

トルコはNATOの加盟国でありながら、ロシアから防空システムを購入し、ウクライナ紛争では仲裁外交によって存在感を発揮、サウジアラビアもバイデン大統領からの原油増産要求を一蹴し、最大の顧客である中国の訪問を歓迎、共に自国の利益を第一に独自路線を取っている。

日本はいつまでアメリカに「征服」されたままなのだろう。自国の独立を最大限の目的にして、したたかに外交努力を重ねる「頭の良い国」に、いつになったらなるのだろうか。

東京新聞を参考にしました。