ドイツボン大学教授 マルクス・ガブリエル氏

『人間の行動を企業の利益にかなうようにコントロールする「監視資本主義」では、我々の検索履歴は常に測定、分析され、人々は検索結果という答えを得て都市に集まってくる。その結果街の様子も変化してくる。我々の欲望は今や監視資本主義に作り出されていると言える。監視者はスマートフォンをいう独房にいる人々に情報を送り、特定の行動をするように促してくる。スマホの利用者は監視者の意図を知らずに、無意識に動かされている。姿を見せない統治者が人間を意のままにする状態は、監獄の監視システムである「新」パノプティコンと言える。そしてそれは非常に強力だ。』

ニヒリズムは人間が存在することに意味はない、というが意味があろうがなかろうがが、神が存在しようがしまいが、私達は道徳的真実を見つけ出し、それを実践しなければならない。我々には未来を守る義務がある。それが「人生の意味とはなにか」という私の答えだ。』

 

つまり、結論。スマートフォンをなるべく見ない事だ。以前から他人の人生に「いいね!」(これは結局は、いいなあ!という妬みの感情ではないかと思うのだが)している暇があれば、普通に生活していたら出会えないはずの碩学に、過去の人であれば会話できるというまれな体験ができる「読書」に時間を割きたいと思っていたので、我が意を得たり、の心境だ。

日常の疑問、疑問とまで行く前に単なる暇つぶしに日常的に「検索」していることが非常に多い事に反省している。いちいち検索窓を開いていたら、累積する時間は膨大だ。思考するのに検索窓は実は必要ない。そう考えを改め、検索したくなったら一度その単語なり文章なりを今日のメモ欄に書き出す事にした。夕方パソコンでまとめて「ネットサーフィン」するにとどめる。あたらめてPCに向かうと、調べるほどの事ではないと結論付けられることが多いものだ。