これまでの日常に戻る事を目標にしない

コロナ禍からおよそ1年経ちます。

暦がいちサイクル回るまでは「昨年の今頃はこんなことが出来たいたのに。早く終息してあれをしたい、行きたい、会いたいと望んでいました。

丸々一年が経つと、”昨年を思い返し”てもそこにはコロナ禍の日常しかない訳で、そろそろコロナが雲散霧消することはしばらくないのだという現実を突きつけられます。

スペイン風邪は三年かかりました。コロナウイルスにはワクチンが開発されるでしょうが、地球上がここまで一色に汚染されている状況で、かつ各国が密接につながりあって成り立っていることを考えると、残念ですが一旦収束するかに見えても、残り火があちこちで発火するかのごとくに、だらだらと、時には爆発的に再燃することでしょう。”終息”をゴールと考えるなら、何年も、もしかしたら10年単位の時間がかかるかもしれず、そうなる前に人類はとっくに終息を諦めざるを得なくなるでしょう。

加えて、私は最近”もうコロナ前の日常に戻ってはいけないのだ”と発想転換の必要性を考えています。理由は皆が気づいていたのに気づかないふりをしていただけの問題ふたつ。

ひとつには、これまでの資本主義社会に戻る事を日常としたいなら、地球はつぶれてしまうこと。インフラも学校も民間委託して競争にさらして一商品化し、昨今では山から湧き出る水さえも共有財産から企業の商品として囲い込んでペットボトルに入れるほどのゆきすぎた儲け主義。欲望を満たすだけの使い捨ての服。世界中の先進国が使い捨て文化、マネー至上に走った結果、一部の人が一生かかっても使いきれない富をため込んでいるのに、一方多くの人が路上に投げ出されています。その結果海は汚れ、気候変動で陸地は失われつつあり、災害や灼熱が地球を覆い、ますます人権も侵害されています。これまでの日常を諦めなくてはならない覚悟をしなくては。困難ですが、発想を変える。私個人が変えられることはわずかではあり、それが残念ではありますが、いつまでもコロナ前の日常を取り戻すことに固執していては、むしろ自分が辛くなるだろうと思うのです。

ふたつにはこの国の政治や社会の仕組みを変える事です。原発事故さえ、放射能さえなかったことにしたい日本の政治家は、実際着々とその悪だくみを進めて、人々の心から原発事故の記憶を黒塗りしようとしています。今まさにコロナウイルスもその手法で何とかなかった事に出来ないか、罹患した人、亡くなる人を捨て置いて隠し、何とか見えないように隠せないかと策略謀略をたてているのでしょう。

この大事な国難時に国会で何が行われているかを見れば、この国はウイルスと本気で戦い、国民を本気で守る気はないのだという事にいい加減気づくことでしょう。だって問題山積の最中に、政治家達の素行の悪さを追求しなくてはならないのだから。火事の最中にそっちを向かずに密室でお祭りの打ち合わせをしている与党をたたき起こすことから始めなくてはならないのを、これ以上見ているのはもうやめにしたいです。

現実にどこにも逃げ場がない私たちは藁にもすがりたいゆえ、まだ日本の政治がいつか何とかしてくれるかもしれないという幻想を捨てきれない。でも見限らないと。本当は政権与党の政治家だって、この国以外逃げ場はないのに、ここまで自国の人々や仕組みを破壊して、まともに生きていけると思っているのでしょうか。

彼らは国を構成する財産はお金やコンクリートの建物や道路だと思っているかのよう。いつかそこに人がいなくなったディストピアみたいな日本を想像したことがあるのでしょうか。国の財産は国民、すべての市民です。入れ物だけ立派かのようにつくり、誰も人がいない世界を想像することは荒唐無稽ではありません。今の与党の政治を見ていると、こんな気持ちの悪い世界を連想してしまうのです。

決めなくては。もうコロナ前には戻れない。戻りたくても戻れないのではなくて、もう戻りたくない、と。