母親業卒業

あさのあつこさんの「彼女の物語」の一節に我に返る。
若いころ、自分を生きていなかったなあ、無理をしていたなあ。
自分をつくっていたなあ。
自分で立って歩くことを諦めてしまっていたなあ。

沢山の情報があふれる中、
自分が自分でいること、
自分を肯定することは難しい。

様々な選択肢があるように見えても、自分にすべてそれらが
許されているわけではないから。

あの時あんな風にしていたら。
あんなこともしたかった。

時代もあるだろう。
ああ、最初から暗黙の決められたコースがあったのだな、
悔しいけれど男性社会の相手探し、程度の扱いに
安住していた。
自由になる為には、
それが本当の自由でなかったことに今頃気づいたけれど、、
自由になるためには、その流れに乗るのが当たり前だった。
他の流れを作る勇気も才覚もなかった。

仕事とタブレットがあれば、
好きな場所へ飛び出して、
自由に自分を生きられる子供たちが
まぶしい。
若いころ一人になって自身の才覚で生きる事は、辛くても
自身を磨く最高の方法。人生の操縦桿は若いころに自分で握ることを
覚えたほうがいい。
そういう自由を満喫できるように、
無意識に育ててきたのは、他でもないこの私か。

この程度の自分が何とか子育てを終えられて
むしろ良かった。
もう小さい親の影響などより、、
沢山の他人や自分が選んだ場所での刺激や影響を受けて
それらにさらに成長させてもらった方が良い。

子育ては一時、天から与えられた使命。。
短い間、不完全な私に子育てさせてもらいありがとう。
後は自分などよりはるかに多様な世界に刺激されて成長するのが本来あるべきこと。
我が子とはいえ、別の人生を生きる、最も大事な他人になったのだ。

大切な他人、つまり別の人格をもつ大人。

自分を取り戻そう。大切な家族と出会えたことに感謝しつつも、
焦らずに一人にかえってみよう。
丁寧に物事を考えて、自分を相棒に生きてゆく。